卒業おめでとう



卒業式の日に、娘たち生徒に担任の先生から1本ずつ贈られたお花です。娘たちは100円ずつ出し合って、花束を担任の先生に贈っていました。生徒と先生の間でお花を贈り合ったのは娘のクラスだけだったようです。


息子は特別支援学校高等部を、娘は地元の中学を卒業しました。


息子は中学部から支援学校に通っていたので、6年間お世話になった学校を卒業したわけです。長かったような短かったような……でもやはり長かったのだと思いますし、この6年間で息子は大きく成長しました。
年齢が上がるにつれて知的障害の区分が中程度から重度になりました(←ダウン症の子はだいたいこのような感じだそうです)し、「計算」は指を使って一桁の足し算がなんとかできるところまでしか到達できませんでしたが、息子は生まれ持っての性格のおかげでコツコツと努力できるタイプのため、支援学校で少しずつ少しずつできることが増えていきました。
ダウン症の子(人)って、どういうわけか頑固でして、息子も頑固な面があります。けれどもそれも6年間で少しずつ変化しました。
友達もできました。
個人個人の性質や能力に合わせて指導してくれた先生方には感謝しかありません。


授業参観や学校行事、PTAの役員を通して、ママさんたちからいろんなお話を聞きました。障害の重さや状態によって悩みはさまざまですが、知的障害を持った子を育てる苦労と未来への不安は共感できるものも多かったです。
小学部または中学部から支援学校に通っていた同級生たちのほとんどは福祉事業所に行くことになっています。息子もその1人です。
福祉事業所と言っても事業所ごとに全然違いますし、スタッフによっても関わり方の差はあります。言葉が出ない子はもちろん、息子のように会話ができる子でも知的障害者は【自分が何に困っているかを言語化するのが難しくて、困っていることを伝えられない】ということが多いため、ママさんたちも自分の子がお世話になる事業所を決めるためにたくさんたくさん考えていました。
それでも不安なのです。弱さを持った我が子が学校という安全地帯から社会に出ていくことに多少の差こそあれ不安を全く感じていないママさんは1人もいないようでした。誰かの手を借りないと生きていけない我が子の将来を不安に思わないでいられるわけがないのです。残念ながら搾取や暴力などにも遭いやすいですし…。
ですから、卒業式では「卒業していくみんなが、どうか理不尽な目に遭わず、彼らなりに成長し健やかに生きていけますように。」と祈っていました。



息子の卒業式の二日後に娘の卒業式がありました。
終わり良ければ総て良し……とはこのことか、と思わされる卒業式とその後の写真撮影大会でした。昨年の今頃は抑うつ状態が酷かった娘ですが、同級生たちと楽しそうに写真を撮っていました。
こんなことがあって日に日に前向きな発言が増えてきてるなー、とは感じていましたが、「自分のこと陰キャだと思ってたけど、そうでもないかも。」と卒業式の日に帰宅してから娘が笑って言いました。
軽度ながらも学習障害を持っているために娘は高校でも勉強で苦労すると思いますが、本来の彼女らしさを発揮して実りある高校生活にして欲しいと願っていますし、同級生のみんなもそうであって欲しいです。




そうそう。
式の後の写真撮影大会では娘は単独行動ではなく、ほとんど友達の誰かと歩き回ってましたが、こっちの友達あっちの友達とそれぞれが他に一緒に撮りたい子がいてバラけて娘が単独行動となった瞬間に、娘が一番お世話になった学年主任の先生がニコニコしながらすぐ近くに立っていることに母娘で気づきました。さっきまでたくさんの生徒に囲まれていた先生が1人で、娘も1人。ナイスタイミングでした。
先生と娘のツーショット写真を撮影した時に、先生が「君が行く高校はいい学校だと思うよ。(今だったら)僕も行きたいところだからね。」と娘に言ってくれていました。熱いのに熱苦しくなく公平な先生で生徒から信頼されてる先生なので、みんなが進路を決める前にはそんな個人的意見は絶対に言わなかったと思いますが、一対一で話せるタイミングだったおかけで最後にそう言って送り出してくれたのでしょう。
こんなことや

こんなこととか


いろいろありました。
先生……我が家に何度来てくださったんでしたっけ…?たくさんお話しをしました。
卒業式の数日前に先生に書いた(3年間とてもとてもお世話になったことのお礼の)手紙の中に

けれども、ある側面においては、娘の凸凹と重苦しさのおかげで私も教育とは何だろうか?と(強制的にではありますが)考えることができた3年間であったと言えます。ダウン症の息子を通して見えてくるもの・考えるべきことの射程と、娘を通して見えたもの・考えたことのそれは重なる部分もありますが、多くは私自身が見てこなかったものが多く含まれていました。先生にとっても娘にかけてくださったお手間から一粒でも何かを見出していただけていたら幸いです。

と記しました。娘が学習障害でもなく中学時代の私くらいの成績だったら、娘自身も気に病むことがなかったであろう学校の、先生方の思い込みに対して私も気づくことは無かったでしょうし、先生に何度もゴツい文章を送ることも話し合うことも無かったはずです。教育とは何か?とここまで掘り下げて考えることはなかったでしょう。
親として凄くキツかったのですが終わってみれば、良い経験でした。


終わり良ければ総て良し。

二人とも卒業おめでとう。
本当によく頑張ったね。

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