それは解決済の案件だったのでは?

 

百均のマイクロレンズをスマホに挟んで、霜を撮影するのが趣味の1つとも言えるのですが、そろそろ今シーズンも霜活は終わりそうです。今朝も霜はほんの少しだけだったので露を撮りました。


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それは解決済の案件だったのでは!?と驚き戸惑い、ホッとしつつも難しいなぁと考えてしまっている話です。


20歳からの体調不良が常な状態をなんとかしたくて、もちろん病院にも通いましたがある程度のところから頭打ちになってきてしまい、なんやかんやとご縁があって東三河の霊能力の高い先生のところに伺うようになったのが30歳の頃でした。

当時は名古屋に住んでいたので旦那に運転してもらって何度も行きました。紹介してもらった名古屋のお寺にも先祖供養で何度も通いました。


私の場合、おそらく元々の体質と性格から自律神経が乱れやすいのだろうと思います。そこにご先祖の未浄化霊をたっっくさんくっつけていました。初めて先生にお会いして観ていただいた時に「貴方の魂はお人好しで、迷ってるご先祖様たちに『行くところが無いなら私のところに居ればいいよ』と言っちゃうんだね。」と言われて、目が点になったことを今でも覚えています。

オカンや弟1号のように霊感があるわけでもなく、霊障なんてものはオカンや弟が残念ながら被ってしまうものだという思い込みがあり、どこか自分には無関係なことだと思っていました。けれども確かにその頃の私はもう『体調不良に耐える』という精神的な部分が擦り切れ始めていて、(残念ながら)日常的な体調不良のたびに「死にたいとまでは言わないけど、我慢する回路が焼き切れそうでキツい。消えたい。」と思うようになりました。死ぬ病気ではなく、お医者さんも「心身症」とか「パニック障害」とかカルテには書いていましたが、動けなくなって水も受け付けないようなしんどさに加え、1年に1度くらいに起こる『のたうち回るような苦しい発作』(←心療内科の先生にはパニック発作と言われたんですが、典型的なパニック発作は大学生の時に一度だけ経験していて、それとは全然違うのですが、お医者さんにはなかなか分かってもらえませんでした)もあり、胃腸が痙攣を起して激痛に襲われることも時々あり、ほとほと疲れてしまったという状態だったので、今から思うとあれらも大まかに霊障の類と言いますか、元々の弱い部分に負荷がかかっていたのでしょう。

先祖供養を続けていくうちに、おかげさまで絶対無理だと思っていた妊娠出産もできるくらいになり、成長の遅いダウン症の息子を育てながら娘も妊娠出産することができました。


それでも、元々の体質がガラリと変わるわけではないですし、魂のお人好しも変わってはいなかったようです。娘が0歳児の頃にお義母さんが知り合いの気功の先生のところに定期的に私を連れてってくれたのですが、気功の先生は「あまりに弱り過ぎてて普通の人の半分の気功しかやってあげられない。」と言いました。名古屋に住んでいた頃よりは元気でなんとか子育てもできているのに、私の身体は気功の先生からするとあまりに弱り過ぎてるの?と驚きました。生体エネルギーがとても少なかったようです。(気功に通ったのは半年くらいでしたが、結局普通の人の半分コースのままでした。)

そして、ちょっと気になることがあり、娘が1歳半の頃に先生のところを伺ってみたら、旦那の叔母さんが浮かばれていないことが分かりました。彼女は4歳の時に病死していました。私に娘が産まれたことで、その子が娘を通して私からエネルギーを吸い取っているとのことでした。娘も彼女との親和性があり私の魂が相変わらずお人好しだからこそ成立した図式だったのでしょう。

お義父さんとお義母さんに事情を説明し、旦那が高校生の頃に亡くなったお祖父ちゃんのお墓とは別に彼女のためのお地蔵様を建ててもらったことで彼女もすっかり落ち着きました。


それから数年後にお祖母ちゃんが亡くなりました。明るく前向きで信心深い人でしたからあの世の良いところにすぐに行ってるだろうと思っていました。

ちなみに、報せを聞いて病院に駆け付けてくれた伯父さんがタクシー運転手から受け取ったおつりの500円玉を、あの世の良いところにすぐ行くために勝手に持ってった私の父親という事例もありまして。お通夜に「おつりをもらって、一瞬なぜか目を逸らしたら手の平にあった500円玉が消えてたんや…。絶対に落としたりもしてないし。(でも弟が死にそうになってるからそのままタクシーを降りた)」と伯父さんが不思議そうに話してくれて、三途の川を渡るための六文銭やないかい!お父さんったら自分で六文銭を持ってったんかい!そりゃうちらのことは心配せずすぐにあの世の良いところに行くんやで!うろうろしたらアカンで!それからうちらを見守ってくれればいいから!とみんな心の中で語りかけたけど、まさか六文銭持ってくとは!!と弟たちと話したのも懐かしいです。この親父さんのあの世での話もこれまたちょっとイレギュラーで興味深いですし、入院中に死にそうになったオカンを「まだ来たらアカン!」と蹴飛ばしてこの世に戻したりもしました。オカンに経済的苦労はかけまくってた親父さんですが生前は決してそんなふうにオカンを蹴飛ばしたりするような人ではありませんでしたから緊急事態だったのでしょう。ええ、確かに緊急事態ですよね。それは。




さて、

娘が1歳になる少し前から私はご縁があってスピリチュアルな体験を重ねていくことになりました。守護龍による高次元へのアストラルトラベルから始まった高次元でのさまざまな体験と並行して、ヒーラーさんによるケアやエネルギーワークなども受けるようになり、スピリチュアルと括られる知識にたくさん触れるようになりました。それらによって自分のお人好しな魂についてもその歴史を知り、他との境界線の弱さを自覚するようになりました。

旦那の叔母さんの件が落ち着いたとは言え、そしてスピリチュアルな学びをしているとは言え、私のエネルギー体は損傷が激しいのかひどく不安定な体調であることには変わりがありませんでした。30歳の頃の状態よりは当然良くて、だからこそ子育てもできてましたが突然寝込むことも少なくなかったので、大きくなってから娘に「お母さんってのはどこのウチでも身体が弱いかと思ってたら、友達のお母さんたちが元気でビックリした。」と言われたりもしました。子供たちの同級生のママさんたちも私は身体が弱いと認識していて保育園の保護者会やPTAや子供会の役員をしなければならない時にもみなさん気を使ってくれました。今でもスーパーなどでバッタリ会うと「元気にしてる?」と体調をすぐに尋ねてくれるママさんもいます。みなさんとても優しかったおかげで役員仕事も最低限のもので済ませてもらいました。


ご縁があって娘が小3の終わり頃から3か月ほど環健さんの石による足浴をほぼ毎日させてもらったことでかーなーり自律神経失調が回復しました。それでもエネルギー的外的刺激があるといきなり体調がおかしくなるというのは続いていました。とあるヒーラーさんの感情が大きく動くのを隣で見守っていたら急に私の体調が乱れてしまったことをキッカケに、ヒーリングやエネルギーワークを受けるだけでなく学ぶことに決めたのでした。

それから少しずつ少しずつ薄皮が剥がれていくように変化が現れ、「あれ?なんか私、前より動けてることない?寝込むこと減ったよね?」となっていきました。あくまで過去の自分と比べてのことですが、かなり楽に過ごせることが増えました。そのおかげもあってか、5年半ほど先生のところに伺うことがありませんでした。最後に伺ったのは娘が小3の時で、夏休みの宿題であるこの作文を書くために娘が先生にインタビューをしに行った時でした。


このインタビューの後(夏休み明け)に娘が軽度ディスレクシアではないか?と私が気が付き、娘も葛藤を抱えることとなっていきました。そして小4の頃から娘はだんだんとしんどさが増えていったと言います。外では弱音を吐かない娘ですが家ではある程度吐き出すことができるようだったので、私も彼女の話をたくさん聞いてきましたし、私もたくさん話しました。中2の3学期が一番大変で不登校の一歩手前でした。明らかに抑うつ状態でした。しかし、いじめなどがあるのなら休ませたと思いますが、そういうものではありませんでしたし、表面的な付き合いは逆に常にそつなくこなしているようでした。多くは娘の感受性の鋭敏さによって(ある意味娘だけが勝手に)しんどくなってしまうというものでしたので、ここで休ませて不登校になってしまうと復帰が難しいと私は感じていました。ここ数年よく目にするHSPというものに当てはまるのだろうと思います。

おかげさまで中3になってからは泣いて行きたくないと言うことは無くなりました。「あー。行きたくないー。」と言いつつ登校しても、「今日さー、〇ちゃんとこんな話をして大笑いしたんよー!」と笑って帰ってくることもよくあるので、娘にとってしんどさが少ないクラスで良かったです。

それでも憂鬱な、重たいものが娘の中に居座り続けているように私には感じました。けれどもそれは彼女の資質によるものなのだろうと、今から考えると実に短絡的だったのですが、そう思っていました。



そして、ここ1年ほど娘がたまに「先生のところに行きたいなぁ。」と言うようになりました。それは会話の流れから軽く言っていたので「お母さんも久々に先生に会いたいなぁ。」なんて返していましたが、中3は何かとイベントが多く、それもコロナの感染状況によってさまざまな行事が日程も内容も次々と変更となり、ワクチン接種のタイミングも含めて感染せずに予定をこなしていくために気を使う日々でしたから、予約の電話をしようという気にはなれませんでした。

娘は頑張った末に志望校の推薦も取ることができて、無事に受験することもできて合格しました。受験日の10日ほど前から第6波によって市内の児童生徒にも感染者が出るようになっていたのでこれまたドキドキな日々だったのですが、やっとホッとできたところで先生のところに予約の電話を入れることになりました。

「娘が先生に会いたいと言ってますので。」と。




久しぶりに会った先生は、まず息子の話に笑顔で付き合ってくれました。ダウン症の息子の成長を先生も喜んでくれていました。

そして娘に「で、娘ちゃんが会いたいって言ってくれてたけど、どうしたのかな?」と話をふってくれました。娘は「はい…。あの、私、小4くらいからずっと生きにくいんです。」と言いました。

少しの間の後、先生は「ああ、霊障だね。」と言いました。なんでもかんでも霊障ってわけじゃないのだけど娘ちゃんの場合は霊障だと説明をしてくれました。霊的に重たいものを背負ってしまうことで起こるメンタルの不調とはどんな感覚なのかを説明してもらってる間、娘は「その通りです。そんな感じです。」と何度も頷いていましたし、「こんな状態で、こんな孤独の中で、よく今までずっと頑張ってきたね。」と言われて娘はポロリと涙を流していました。きっと娘は初めて自分のしんどさを真に理解してもらえた、という気持ちになったのだろう、と横で見ながら私は思いました。

同時にそれは、どれだけ私が娘の話を聞いていても、霊障の経験があろうとも、彼女のしんどさを理解することが私はできなかった、ということです。身体に出るような霊障とメンタルに出る霊障では全く違うのだろうというのも頭では分かりますが、娘を苦しめていた大元が何かを知ることができてホッとしたのと同時に、自分に対して情けなさみたいなものがポッと生まれていました。親として申し訳ない気持ち、自分を責める気持ちです。


霊障の元となっていたのは、娘が保育園児の時に亡くなったお祖母ちゃんでした。お祖父ちゃんのお墓にお骨も入れてもらってますし、お義父さんとお義母さんはやるべきことをやってくれていました……が、1つだけ未着手のままのものがありました。お墓にお祖母ちゃんの戒名を入れることでした。それは旦那も私も各々ずっと気になっていましたし、お義母さんも気になって地区内にある墓地の他家のお墓をチラチラ確認してたそうなのですが卒塔婆もあるしいいのかなぁ?とこっそり思っていたそうなのです。お墓にお骨は入っているけれど戒名が彫られていないことで不具合が生じていたのだそうです。先生が説明をしてくれましたが、私のイメージではIDカードがもらえなくて扉にアクセスできない……みたいな感じだなぁと思いました。

他責傾向の強い人だと『お前たちのせいで困ってる。早く戒名入れろ。』と働きかけてくるので「戒名どうする?」という話がなんとなく出てくることもあるけど、お祖母ちゃんは自分が孤独で動けないのは自分のせいだと思っちゃう人だったんだね、と言われました。確かに我々は各々「どうする?」と思っても何故か誰も口にはしませんでした。お祖母ちゃんを孤独なままにさせていたのです。

そんな母親の孤独を感じ取ってか、落ちついていた旦那の叔母さんがだんだんと荒れ出し、それが親和性の高い娘への霊障となっていたのだそうです。前回は甥である旦那にも影響がありましたが、先生曰く彼は今回はするりと躱しているのだそうです。本人は後から「自己愛性パーソナル障害っぽい人に都合良く利用された一件から、(内的に)人との境界をピッと引くようになったからかなぁ。」と苦笑いをしていました。いや、それ大事!



お墓にはどんな霊的機能があるのかを私は明確には知りませんが、お墓に何らかの機能を持たせているのは人間の集合意識なんじゃないかなぁ。と思ったりしています。もしもそうならば、それに沿うか(沿わされるか)どうかは生きている間に霊的なことをどのようにどのくらい識るかに因るのでしょう。

と、そういうことは横に置いておいて、とにかく今はお墓に戒名を入れなけれはならないということで、先生のところからの帰りにお墓参りをして旦那が写真を撮って先生にメールし、お義父さんお義母さんにお願いしに行きました。お義母さんは「すぐに石屋さんに行こう!精抜きと精入れのお願いをおっさまにもしなきゃ!」と早速動いてくれまして、なんと丁度1週間で精入れまで済みました。超特急です。高校での制服採寸等の時間と精入れの時間が重なったので、精入れ後にお墓参りとなりました。再び旦那が写真を撮って先生にメールしたところ、お祖母ちゃんの安らぎと感謝の想いが強く伝わってきたとお返事がありました。安らぎ感のなかったお墓とお地蔵様が明らかに変わったと。ほんとうにほんとうに良かったです。


霊障が取れたとしても娘ちゃんのハンディキャップが無くなるわけではないのだけれども、霊障が無くなったら段々と自分のハンディキャップともちゃんと向き合って、その上で自分がどうやって生きていくかを前向きに考えられるようになるし、それが本当の娘ちゃんなんだよ、と先生が娘に話してくれました。先生のところを後にしてから「先生が言ってたそれは、私がそうなれたらいいのにって憧れてたものなんだよ。憧れてたものが自分の本質だったなんて、すごく変な感じ……。」と驚きやら喜びやら照れくささやら…と複雑な感情が乗ったような表情と声で娘が言いました。

20年以上前に五井先生の世界平和のお祈りを教えてくれたのも先生でした。五井先生の法話の中に「自分を愛して他人を愛する。自分を赦して他人を赦す。」というのもがあるのですが、この【自分を赦す】ということの意味深さについても、娘に伝わるような言葉で先生は話してくれました。私達はすぐに自分か他人を責めたくなるし、自分を赦すということの意味深さもなかなか理解できません。先生のお話を聞いていながらも私は自分を責める情けなさを握りしめていましたし。

そうして私達はどんどんと自分の本質から離れてしまい、自分の本質に無意識に焦がれるのかもしれません。


さて、お祖母ちゃんの戒名が刻まれて数日後、娘たち中3だけでの「おたのしみ会」みたいなものがあったそうで、愉快な男子達による歌やダンスに真面目そうな先生が混ざったりして、みんな大笑いする時間を過ごしたそうです。文化祭でも披露された彼らのパフォーマンスのことを以前にも娘は面白かったと話してくれてはいましたが、今回は「すごく面白かった。今までしんどことが多くて中学なんて早く卒業したいと思い続けてたけど、初めて『もう少し中学に居てもいいなぁ。』と思ったよ。」と、ちょっと照れたような笑顔で話していました。娘がそんなことを言うようになるなんて!

希望高校に合格して精神的にかなり余裕ができたことも大きいと思いますし、小学生になってからはお互いに他の友達と親密になっていたのが、ここ数か月間は3歳からの幼馴染との関係性が保育園時代に戻ったかのようにくだらないことでゲラゲラ笑っている(←笑いのセンスが一番似てるっぽい)ことも娘の精神を安定化方向に影響しているとも思うのですが、霊障が取れたことによる変化もあるような気がします。


そんなタイミングで、私と娘が「魔術師」と呼ぶ占い師に娘が占ってもらいました。

娘が彼に占ってもらうのは初めてで、カードでこれから3か月の傾向を観てもらったそうで、席を外していた私に後から娘が嬉しそうに報告をしてくれました。今までとても頑張ってきてて(メンタルが)まだ疲れてるだろうから、高校でしんどいと感じても『休んじゃいけない!』と思っちゃうだろうけど休んでもいいと思うよ、とか、(高校の勉強はもっと難しくなると思って構えちゃうだろうけど)「あれ?思ってたより勉強分かるかも。」と思いそうだし、友達を作ろうと無理して働きかけなくても人の話を聞いていればそれで友達できるよ、とか言ってもらえたことで肩の力が抜けたような感じになったそうです。無理せず自然体で大丈夫、ということなのでしょう。

苦手な勉強も無理して努力を重ねて、同級生達に対して侮られないように抜かりなく振舞いつつ頑なに本心は見せずにガードしていた娘が、乗っかられていた重いものが外れたことでピリピリすることが減り、より自然体に近い在り方で高校生活を楽しめたらいいなぁ~、と思います。


娘のしんどさは、きっと彼女の糧になっていくのだろうと思いますが、だからと言って「それは解決済の案件で、まさか思いもよらなかった。」と親としての自分を慰める気にはなれません。仕方が無かったんだよねー、は自分への言い訳でしかなく、自分を赦すのとは違うと思います。難しいですね。


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