犠牲ではなく奉仕
こちら
https://flower.kagishippo.com/2019/11/blog-post.html
の続きになりますが。
矢印がひっくり返った中で、肉体のこの意識の意味を思った時に、奉仕という言葉が浮かんできました。
犠牲ではなく奉仕。
人間って、生まれ持ってきた資質が環境の影響を受けて、さまざまな部分を有した人格を作り出していくようなものだと思うのですが、
それを水平的なものだとすると、魂と呼ばれる領域のさまざまな部分が垂直的に在るとイメージすることもできると思うのです。
そう考えると、「この肉体が私だと認識しているところの意識」というのは、「大きな大きな私」のほんの一部分のもの…というか、物質世界での「窓口業務係」みたいな感じかもなー…なんて思ったりもします。
窓口業務係、大事ですよね。
窓口業務係がテキトーだと全体もだんだんとマズいことになるでしょうし、窓口業務係が最低限のことをマニュアル通りにしかやらないと現状維持以下で発展が見込めないでしょうし、
逆に窓口業務係に愛があって親切で意欲的なら展開されていく事象がどんどん実りの大きいものになっていく可能性が高く、全体にも良い影響があるはずですよね。
それが「奉仕」なんだろうなぁ~…と思ったのです。
大きな言葉になっちゃいますが、人類全体への奉仕、ですかね。
個人が何かを成すことが人類が今より高みへ進化するための奉仕に繋がることだという視点で見るなら、自分の生活の1つ1つもそうなり得るものだと気づくわけで、
そうやって気づいたら生き方も少しずつだんだんと変わっていくものだと思うんです。
そうすると、いつか気づいた時にちょっと良い感じの窓口業務係になってる……のかも、なんて思います。
実は9月から、娘だけじゃなくて娘の友達も一緒に週2で勉強を教えてるんですけど、勉強そのものを教えるだけじゃなくて、娘たちの話を聞きながら私もいろんなことを話しています。
勉強はもちろん、いろんなことで実力をつけるためにどんな意識で取り組むべきかということもちょくちょく話していたら、特に娘の友達の勉強への姿勢が変化していきました。(若いって柔軟で変化が速くて素敵ですよね~~~。)
今回の期末テスト前の勉強期間でも自分から11日間毎日我が家に来ましたからね!
テスト向けにガンガン問題を解かせたんですが、しっかり取り組んでましたからね!
意識大事!
どんな意識でいるか、はほんと大事!
軽度ディスレクシアなので、どうしても勉強でひっかかりやすい娘に数学やら理科やら社会やら…を教えてましたが、親子だとなにかと難しい場面があるんですよね。お互いに。
それが、娘の友達も一緒だと娘も私も感情的にならないので教えやすいし学びやすいのです。
1学期の頃から我が家で娘と娘の友達が一緒に勉強してる時に私が教えたことが何度かあったのですが、「うちで週2くらいで勉強する?普段は予習メインで、分からないところを潰していくって感じだけど。」と訊いたら、(夏期講習に某塾に行ったけど、塾のやり方がどうにも気に入らなくて、塾という選択肢は無い、と言ってた彼女が)「やる!」と即答してくれて、彼女のお母さんも是非と言ってくれたので、2学期から勉強会をやってます。
数日前、その友達のお母さんが、「塾だと何万もかかるのに、無料で教えてもらってて申し訳ないから、授業料を受け取ってもらいたい。」とLINEしてきてくれました。
そのLINEを読んで、アレコレ考えてみました。
彼女の気持ちもよく分かります。
逆の立場だったら私もそう思うに違いありません。
「申し訳ない」と思わせてることに対して私も申し訳ないなぁ~…と感じてます。
10日前からは娘の小学生時代からの友達がもう一人増えて3人に教えているのですが、期末テスト前だったのもあって、問題集のコピーを毎日3部用意して、うっかり間違ったことを教えちゃアカンので前もって問題に目を通して、娘たちの弱いところを補完するために英語やら歴史やらのアレやコレやも用意したり……と、準備だけでも結構忙しかったですよ。
でも、私はプロとして塾の先生をしてるわけじゃなくて、あくまで自分の娘と「半分ウチの子」(←しょっちゅうウチに遊びに来る娘の友達には昔からそう言ってます)な娘の友達の勉強をフォローしてるオカンなので、お金を受け取るのは違うよな~、ってやっぱり思ったのです。
そして、もちろん勉強をフォローするのが勉強会の第一目的なのですが、自分のことを真剣に考えてくれる親以外の大人が身近にいる、という環境を娘の友達にも与えたいというのも大きな裏目的なのです。
(これが裏目的なので、あくまで私は「話を聞いてくれる友達のオカン」でいたくて、「(お金をもらって)先生」になっちゃうと、ちょっと違うよなー…ってのも大きいんです。)
有難いことに、うちの娘にはそういう大人が何人かいます。
娘の言葉もちゃんと聞いてくれる私の友人たちです。
「お母さんだって完璧な人間じゃないし偏ってるから、信頼できる大人の意見も聞く方がいいよ。」と娘にはちょいちょい言っていて、そういう大人として娘を受け入れてくれる友人たちにはとても感謝しています。
ですから、私もそういう大人の1人になれたら、と思っているのです。
これも「奉仕」なんでしょうね。
好きでやってて、奉仕してるなんて意識は無いんですけどね。(←子供に勉強を教えるのって楽しいんですよ~。)
でも、自分の得意なことで誰かの役に立つってのは嬉しいことで、そこにお金のやりとりがあっても無くても「奉仕」であることには変わりないのかもなー…って考えたりしています。(あ、でも、仕事として成り立っている方がより良いと思います!)
というわけで。
娘たちに勉強を教えてるわけですが、説明に一番苦労したのは、実は中学生になったばかりの4月でした。
マイナスの数の引き算
がどうしても納得できなかった娘に、いかに教えるか…で、めっちゃ考えました。
マイナスの数を引き算する時はプラスにしてしまう、としか先生は説明しないし、私もそういうものか~で通ってきてしまったので、深く考えたことが無かったのです。
数学科じゃないし(そもそもエセ理系だ)から、こういう基本的なものをどうやって説明するのがいいのか分からないので困りました。
けれども娘は『マイナスの数を引き算する時はプラスにする』だけではどうしても納得できなくてお腹に落ちなくて計算問題で間違え続けていましたから、なんとかしないといけません。
そこで1時間ほど考え続けて、やっと説明できるところに至りました。
娘は「分かった!!」と、めっちゃ目をキラキラさせてくれました。
(お腹に落ちたので、それからはプラスに自動的にして計算できてます。)
すると、「そういうもんだ。」で通ってしまった娘の友達も「そうか!!」とめっちゃ目をキラキラさせてたので、1時間考え続けて良かった~!と心底思いましたね。
奉仕している側なんですけど、娘たちにはいろんな意味で勉強させてもらってます。
https://flower.kagishippo.com/2019/11/blog-post.html
の続きになりますが。
矢印がひっくり返った中で、肉体のこの意識の意味を思った時に、奉仕という言葉が浮かんできました。
犠牲ではなく奉仕。
人間って、生まれ持ってきた資質が環境の影響を受けて、さまざまな部分を有した人格を作り出していくようなものだと思うのですが、
それを水平的なものだとすると、魂と呼ばれる領域のさまざまな部分が垂直的に在るとイメージすることもできると思うのです。
そう考えると、「この肉体が私だと認識しているところの意識」というのは、「大きな大きな私」のほんの一部分のもの…というか、物質世界での「窓口業務係」みたいな感じかもなー…なんて思ったりもします。
窓口業務係、大事ですよね。
窓口業務係がテキトーだと全体もだんだんとマズいことになるでしょうし、窓口業務係が最低限のことをマニュアル通りにしかやらないと現状維持以下で発展が見込めないでしょうし、
逆に窓口業務係に愛があって親切で意欲的なら展開されていく事象がどんどん実りの大きいものになっていく可能性が高く、全体にも良い影響があるはずですよね。
それが「奉仕」なんだろうなぁ~…と思ったのです。
大きな言葉になっちゃいますが、人類全体への奉仕、ですかね。
個人が何かを成すことが人類が今より高みへ進化するための奉仕に繋がることだという視点で見るなら、自分の生活の1つ1つもそうなり得るものだと気づくわけで、
そうやって気づいたら生き方も少しずつだんだんと変わっていくものだと思うんです。
そうすると、いつか気づいた時にちょっと良い感じの窓口業務係になってる……のかも、なんて思います。
実は9月から、娘だけじゃなくて娘の友達も一緒に週2で勉強を教えてるんですけど、勉強そのものを教えるだけじゃなくて、娘たちの話を聞きながら私もいろんなことを話しています。
勉強はもちろん、いろんなことで実力をつけるためにどんな意識で取り組むべきかということもちょくちょく話していたら、特に娘の友達の勉強への姿勢が変化していきました。(若いって柔軟で変化が速くて素敵ですよね~~~。)
今回の期末テスト前の勉強期間でも自分から11日間毎日我が家に来ましたからね!
テスト向けにガンガン問題を解かせたんですが、しっかり取り組んでましたからね!
意識大事!
どんな意識でいるか、はほんと大事!
軽度ディスレクシアなので、どうしても勉強でひっかかりやすい娘に数学やら理科やら社会やら…を教えてましたが、親子だとなにかと難しい場面があるんですよね。お互いに。
それが、娘の友達も一緒だと娘も私も感情的にならないので教えやすいし学びやすいのです。
1学期の頃から我が家で娘と娘の友達が一緒に勉強してる時に私が教えたことが何度かあったのですが、「うちで週2くらいで勉強する?普段は予習メインで、分からないところを潰していくって感じだけど。」と訊いたら、(夏期講習に某塾に行ったけど、塾のやり方がどうにも気に入らなくて、塾という選択肢は無い、と言ってた彼女が)「やる!」と即答してくれて、彼女のお母さんも是非と言ってくれたので、2学期から勉強会をやってます。
数日前、その友達のお母さんが、「塾だと何万もかかるのに、無料で教えてもらってて申し訳ないから、授業料を受け取ってもらいたい。」とLINEしてきてくれました。
そのLINEを読んで、アレコレ考えてみました。
彼女の気持ちもよく分かります。
逆の立場だったら私もそう思うに違いありません。
「申し訳ない」と思わせてることに対して私も申し訳ないなぁ~…と感じてます。
10日前からは娘の小学生時代からの友達がもう一人増えて3人に教えているのですが、期末テスト前だったのもあって、問題集のコピーを毎日3部用意して、うっかり間違ったことを教えちゃアカンので前もって問題に目を通して、娘たちの弱いところを補完するために英語やら歴史やらのアレやコレやも用意したり……と、準備だけでも結構忙しかったですよ。
でも、私はプロとして塾の先生をしてるわけじゃなくて、あくまで自分の娘と「半分ウチの子」(←しょっちゅうウチに遊びに来る娘の友達には昔からそう言ってます)な娘の友達の勉強をフォローしてるオカンなので、お金を受け取るのは違うよな~、ってやっぱり思ったのです。
そして、もちろん勉強をフォローするのが勉強会の第一目的なのですが、自分のことを真剣に考えてくれる親以外の大人が身近にいる、という環境を娘の友達にも与えたいというのも大きな裏目的なのです。
(これが裏目的なので、あくまで私は「話を聞いてくれる友達のオカン」でいたくて、「(お金をもらって)先生」になっちゃうと、ちょっと違うよなー…ってのも大きいんです。)
有難いことに、うちの娘にはそういう大人が何人かいます。
娘の言葉もちゃんと聞いてくれる私の友人たちです。
「お母さんだって完璧な人間じゃないし偏ってるから、信頼できる大人の意見も聞く方がいいよ。」と娘にはちょいちょい言っていて、そういう大人として娘を受け入れてくれる友人たちにはとても感謝しています。
ですから、私もそういう大人の1人になれたら、と思っているのです。
これも「奉仕」なんでしょうね。
好きでやってて、奉仕してるなんて意識は無いんですけどね。(←子供に勉強を教えるのって楽しいんですよ~。)
でも、自分の得意なことで誰かの役に立つってのは嬉しいことで、そこにお金のやりとりがあっても無くても「奉仕」であることには変わりないのかもなー…って考えたりしています。(あ、でも、仕事として成り立っている方がより良いと思います!)
というわけで。
娘たちに勉強を教えてるわけですが、説明に一番苦労したのは、実は中学生になったばかりの4月でした。
マイナスの数の引き算
がどうしても納得できなかった娘に、いかに教えるか…で、めっちゃ考えました。
マイナスの数を引き算する時はプラスにしてしまう、としか先生は説明しないし、私もそういうものか~で通ってきてしまったので、深く考えたことが無かったのです。
数学科じゃないし(そもそもエセ理系だ)から、こういう基本的なものをどうやって説明するのがいいのか分からないので困りました。
けれども娘は『マイナスの数を引き算する時はプラスにする』だけではどうしても納得できなくてお腹に落ちなくて計算問題で間違え続けていましたから、なんとかしないといけません。
そこで1時間ほど考え続けて、やっと説明できるところに至りました。
娘は「分かった!!」と、めっちゃ目をキラキラさせてくれました。
(お腹に落ちたので、それからはプラスに自動的にして計算できてます。)
すると、「そういうもんだ。」で通ってしまった娘の友達も「そうか!!」とめっちゃ目をキラキラさせてたので、1時間考え続けて良かった~!と心底思いましたね。
奉仕している側なんですけど、娘たちにはいろんな意味で勉強させてもらってます。
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