マクロの極みからミクロの極みへの矢印がひっくり返ったら

昨晩はどういうわけかちっとも寝つけませんでした。
いつもならマイティピュリフィアやマルチプルアバンダンスのプログラムを自分に流しているとすぐに寝てしまうのですが、逆に頭が冴えていくような感覚でした。

お布団の中でプログラムを流しながらも眠れないなー…と思いつつ結構な時間を過ごしているうちに、ふっと感覚が拡大する…というか、日常の感覚ではなくなってきました。

マルチプルアバンダンスで自分のエーテル体やアストラル体を感じていたら、いつものぼんやりとしたイメージではなく、肉体感覚に割と近い感覚でそれらを感じ始めたのでした。
はっきりとこれは自分固有のもの、という感じでした。

そこで、マイティピュリフィアで(シータヒーリングで言うところの)5層にアクセスしたところ、そこでは「これは自分」という感覚ではなくて、まるで『この表層意識の私』が『広大な意識の層』の一か所を『観た』ことによって、肉体やエーテル体・アストラル体を生み出している『霊』が(一時的に)『私という意識に繋がるような形』で表出した…という感じがしました。
(こんな感じのイメージでした。)



さらに次に(シータヒーリングで言うところの)7層にアクセスすると、もうそこには『肉体感覚の意識が捉える個としての私』は一片も感じられませんでした。


子供の頃から『私の人生が大きなスクリーンに映され続けいて、多くの人達がツッコミを入れながら見ている』というビジョンが浮かぶことがよくありました。
そして、小5,6でプロテスタントの教会の日曜学校に通って聖書を学んだり、大人になってから五井先生の本を読むようになったりで、ざっくり言うと、

神様からのトップダウン

という世界観が自分の中ではずーっと基本になっていたのだと思います。
こんな記事も書いたことがありましたし。
http://smalltamiel.blog82.fc2.com/blog-entry-524.html
ですから、『この肉体にある表層意識』はとても未熟で、この肉体でこの物質世界を生きるために小分けにされた小さな小さな精神の先端、という捉え方になりがちです。
我々は常に世界を創造し続けている「神」でもある、というのも、神という本店の小さなちいさな出張所、というような意味合いで捉えていました。

観念的には確かにそれはそうなんだと今でも思うのですが、
昨晩の体験は、マクロの極みでもある「創造主である神」とミクロの極みでもある「私」の間にある矢印をひっくり返して観ることで、認識が「ぼんやりしたイメージ」から「ある種のリアリティ」を獲得したものだったように感じました。

この「矢印」についてもう少し詳しく説明すると、
マクロの極みからミクロの極みへの「↓」を単に「↑」に向きを変えた…というのではなく、隠れていた「↑」を見つけた…という感覚でした。
ですから、私が今までマイティピュリフィアで「上昇」する時は「↓」を遡るようなものだったのだと思いました。
マイティピュリフィアが「↑」を提示していても、私の意識がそれを見つけられずにいたのでしょう。


ちなみに、これを書きながら「どうして見つけられなかったのかなぁ…?」と思った途端奴隷意識という言葉がばーんと頭の中に出てきて、「うわぁぁぁ……。」と一瞬とても気分が悪くなりました。
人間の根深いところにある奴隷意識に触って気持ち悪くなったのでした。



…と、とりあえずここまで。
睡眠不足なので、今日はこれにて寝ますー。

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