ハートがフルオープン




先日、こんなツイートをしました。

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昨日の夜、コレを見てたら旦那が
「ウチは普通じゃないのばっかだしなー。」
と言うので、
「そうよねー。あんたはギフテッド並のIQだし息子はアレだし娘はアレだし、普通なのは私くらいやもんねー。」
と答えたら
「誰が?ネジ1歩飛んどるくせに〜。」
と笑われました。
あたしゃドラえもんか!
https://twitter.com/nhk_kurogen/status/1166456106392178689

ドラえもんのネジについて知らない人はウィキペディアを参照しましょう。

で、実家のオカンもコレを見てて、オカンからLINEが届きまして、
弟2号が小学生の時にIQ160だったと書いてあって、さすがにそこまで高かったとは知らなかったのでビックリしました。
そりゃ弟も学校の友達と話が合わなかったやろうな…と姉としては彼の生きづらさを思って切なくすらなりました…。

ありがたいことに弟1号も(2号ほどではなくとも)賢い上にアホ男子で面白い子だったので、なんやかんやと仲良し兄弟だったのが2号にとってはとても良かったと思います。

で、旦那もIQが高くて友達と話が合わなかったそうなんですね。
弟も旦那も表面上はみんなと合わせてたようですが。

旦那の場合、いろんな話ができるようになったのが大学からで、特に私と付き合うようになってから他人とアレコレ話して通じ合えるという経験ができたのだそうです。
だから我々夫婦はどこか友達みたいな感じなんですよね。
(これ、私が中高生だとまだ彼と話が合わなかったと思います。)

弟も今はサッカーの応援を通じて知り合った友達と話が合うみたいで、そういう人と出会えて良かったな〜、と姉として心から嬉しく思います。

ギフテッドの生きづらさというのも様々だと思いますけど、同級生と話が合わないというのは子供らしさの体験がある側面で欠落することでもあるな、と思います。

ナチュラルサイキックな弟1号とギフテッドな弟2号とはちがって私は平凡なんですが、おかげさまで友達とはなんやかんやで楽しくやってきた方だと思うので、そういう部分は恵まれてたんだよな〜、とあらためて思います。
それが如何に恵まれたものなのかを、その時には分からなかったんですけどね。

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それからオカンや弟たちとのLINEグループでもアレコレ書きました。
オカンの返事に対しても書いているうちに、自分でも気づいていなかったことに気づきました。


弟のギフテッドの部分というのは父から受け継いでいます。
つまり、父親もそういう人でした。
そして、小中と一番仲良しだった友達もそういう人でした。
父と弟と友達がギフテッドだった私は、自身は平凡でもギフテッドの人達との付き合いに慣れていたのでしょう。
だから、旦那とも話ができたのかもな~……と思ったら、コレもギフトなんじゃね?とハタと気づいたのでした。

IQの高い人達が周囲にいたことで、どうしても自分の頭脳は見劣りしましたし、宇宙物理学の科学者になるためには弟の頭脳くらいじゃないと無理だと知ってからは、だんだんと自分は頭が悪いとすら思うようになっていったわけですが、
キレキレではなくても決して悪くは無かったんだ、ということに納得できたのは本当につい最近です。
(↑ちょっと長めのスレッドになってます。)
上記の気づきの後に、何かのついでに娘と岐阜の高校の偏差値を調べてみようという流れになり、私が受験した公立高校(でも落ちた~)の偏差値を見た時でした。
自分が受験した高校の偏差値なんて覚えていなかったのですが、担任の先生が「合格すると思うけど、入ってから下の方にいるより1ランク下げて上の方にいた方が良いよ。」と最後の三者面談で言ってたのは覚えているので、まるっきり無理なところを狙っていたわけではないはずです。
なので、中3の私はこれくらいの偏差値だったのか~…と何十年ぶりかに客観的にその数字を眺めて初めて『キレキレではなくても決して悪くは無かったんだ』と思えたのでした。
この時のセッションで蒔いてもらった種がやっと芽を出したような感じがします。
https://flower.kagishippo.com/2018/05/blog-post.html

そう思えたら、なんというか……すごく楽になりました
自分で自分にかけた呪いがやっと解けたんですね。
その上で、自分の脳の凸凹について考えてみても「こういう部分が弱いな。」と冷静に評価するだけで、そこに悲しい悔しい切ない等の感情も乗ってこなくなりましたし、過剰な卑下もしなくなりました。
平凡なIQでもそれなりに勉強に前向きだったからあれくらいの偏差値に届いてたということで、あの頃の自分を褒めてやってもいいくらいなんじゃない?とすら思いました。
そして、そう思えるようになったからこそ、ギフテッドの人達が周囲にいたことをギフトだと思えたのだと思います。

や、ほんとにギフトですよーー。
だって、地頭のいい人達が身近にいることで「ひっぱり上げてもらった」という部分がたくさんありますもん。
そうじゃなかったら、一番仲良しだった友達も旦那も私と一緒に会話してて面白いと思ってくれるわけないですもんね。





で。
話はちょっと変わりますが。

先日、娘(中1・ジャニオタ)と娘の友達(中1・とある人を推してるオタク)が私の前でいろんな話をしていて、それを笑いながら聞いていたのですけど、
その会話の中で、
「学校では男友達はいても好きな人ができんよね~。どうしても推しがいいもんね!でも失恋してみたいから恋愛してみたーい!」
と2人が言ったのです。
そしてその場でそれはそれは楽しそうに漫画や小説の失恋あるあるを演じる2人。

おかーちゃんとしては、失恋なんてめっちゃキツいで~?…と反射的に思ったのですが、魂もこういう感じで人間になってみたいー!と希望して受肉したのかもな~、とふっと思ったのです。
人類の進化に貢献するとかカルマの清算とか…理由は1つでは無いのでしょうけど、「経験してみたーい!」も案外大きな理由の1つなのかもな~、と思ったのでした。


そんなことを思った2日後。
家族でIKEAにお買い物に行く車の中で、久々にゆっくりと関ジャニ∞の歌を聴いていたのです。
彼らの歌の中には私の過去世を彷彿とさせるものもいくつかあり、それらを聴いてアレコレぼや~っと考えていました。
すると、急に
「大変な人生も多かったけど、全部が大事な人生やよな~。意味があっての経験だもんな~。」
と、まるでいきなりハートがフルオープンになって愛しさのメモリが急上昇したような感覚になりました。
または、すべてを肯定するかのような感覚です。
もっとああすれば良かったね、こうすれば良かったね……というのはそれぞれありますが、それも込みでの肯定…という感覚です。
ある意味ちょっと意識が拡大したようなものだったと思います。

さらに、それはもちろん今の自分とその人生に対しても適応されるものなんだなー……と、拡大された意識の一部で自動処理するかのように進みました。
ギフトをギフトとして認識せずに自分に呪いをかけていたことすらも貴重な経験、という認識をハートフルオープンでしていました。


すると、いつもの意識状態に戻った後も、なんだかどこかがちょっと違って、IKEAから帰ってきても「今日は楽しかったー。」と私は何度も言っていたのです。
娘に「そんなに楽しかった?」と不思議がられるくらいでした。
今までと同じく家族で普通にお買い物をして普通にご飯を食べて帰ってきただけで、特別何か凄く楽しいことやインパクトの強いことがあったわけではないのですが、帰宅後もじわじわと軽めの喜びが湧いてきていたのです。
ハートがフルオープンになって意識が拡大したことの余韻だったのかもしれません。
これもとても貴重な経験ですね。



というわけで。
IKEAのワゴンです。
大きい方は以前買って画材入れになってますが、今回は小さいワゴンをゲットしました。


2段目には関ジャニ∞のライブBlu-rayをセットしてありますよっ!



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