「正直であることは危ない」という思い込みが私の中にあることを関ジャニ∞が教えてくれた
これもブログに書いておこうと思います。
丸ちゃんのコメントです。
すばるくんの脱退ヤスくんの病気・怪我が30代半ば以降のメンバーにとってこれからの人生を考えるキッカケになったというのはとても自然なことだと思うし、正直な思いのままに自分の人生の舵を取る事ができる強さがあるのは素晴らしいことだと思います。
ファンの寂しさ悲しさ辛さはまた別の話でね。
とんでもなく悲しいし寂しいししんどいけど、すばるくんも錦戸亮ちゃんも他の関ジャニ∞のメンバーもそういう強さを持っていること、そして彼らがその強さを培うことができたのは何故か、を娘が部活から帰ってきたら語り合おうと思います。
娘にも正直な思いを貫いて人生の舵取りをして欲しいから。
自分の思いに正直に人生の舵を取るということについて、
では私はできてるのか?と問われたら「できてるよ!」と即答できません。
正直に選び取る力がついてない、ということは、
『人生は(深い部分の)自分の第一希望が叶い続けている』という理から考えると、正直に選び取れない自分で在り続けることにメリットがあるってことだよなー…と思ったら、すぐに過去のある体験が浮かんできました。
小学生の時にお母さんのようになりたくないと私が言ったことに対して、結構時間が経ってからオカンに責められた、という体験です。
オカンはその言葉に傷ついたから何かの拍子に私に吐き出してしまったのでしょうが、まだ小学生…それも高学年じゃなかったんです。自分の思いを言語化する能力も語彙も未熟だったのでああいう言い方しかできなかったのでした。
なのでオカンに責められながら『違う違うそういうことを言いたかったんじゃない!』と思ったのですが、それも上手く言葉にできませんでした。
元々オカンの顔色・気分を伺うことが多かったのですが、余計にそういう部分が強化された体験でした。
そして、正直になることは危ないことだという思い込みも。
正直になることは危ないという思い込みからの言動は、長い時間をかけて「私は何がしたいのか分からない」に私を迷い込ませることに。
その上、正直に言えずに遠回しな言い方をして『違う違うそういうことを言いたかったんじゃない!』と思わされるやり取りが定期的(?)に発生し続けていました。
その度にヘロヘロになるくらい考え込むのですが、問題発生のカラクリの核心には至れませんでした。
丸ちゃんのコメントを聞いて少しホッとしたのと同時に、上記のように自分の中の思い込みの有様について気づくことができたのでした。
私はこの人生での一番古い記憶は2歳半の頃のものです。
弟とひなたぼっこしていて、弟のほっぺたがぷにぷにでかわいいので指でぷにって押してみたら泣きだしてしまいました。
家の中にいたオカンが飛んできて「どうした?」と訊いてきたのですが、怒られると思ったのでしょうね。咄嗟に私は「知らない。」と言いました。
そうなのです。
一番古い記憶が「嘘をついた」という記憶なのです。
…まぁ、これは、この直後にオカンが写真を撮ったようでして、私とわーん!と泣いてる弟の写真がアルバムに貼ってあるため、それを見るたびに「この時に嘘ついちゃった。」と小さいながらにも罪悪感を抱いていたので忘れなかった記憶となったのだと思います。
子供なんてそうやってすぐに小さい嘘をつくものだというのは自分が母親になって分かりましたけど、それでもですね、やっぱり一番古い記憶が嘘をついた時のことであるというのは、私にとっては意味のあることだったように感じます。
正直であることは危ないという思い込みがあることで発生する諸問題を経験する必要があったのでしょう。
なんでもかんでも自分の思ったことや考えたことを言うのか正直というわけではないですが、少なくとも「正直であることは危ないこと」では無いと思いますので、これについてはエネルギーワークで対処しました。
すーーっとしました!
そしたら、その夜。
大倉くんがラジオでとても正直に話してくれて、その言葉がすっと沁み込むように入ってきました。
なんといいますか……浸透率がアップしたような感じ。
大倉くんは正直に自分の言葉で話してくれる人だというのは分かっていたのですが、受け取る自分の方の変化によって今までとは少し違った感覚になりました。
で、
丸ちゃんのテレビ番組と大倉くんのラジオ番組の間のことです。
私の友人の1人が、錦戸亮ちゃんを俳優として高く評価してくれてることを知り、とても嬉しくなったのですが、
さらに彼女が、いつかアイドルから転換していかないといけないんだから良いことだと思うよ、とも言ってくれて、何かがちょっと胸に引っかかったので、ゆっくりお茶を飲みながら考えてみました。
「アイドル」って何だろう?って。
特にジャニーズのアイドルって何なんだろう?と。
歌も歌う。それも踊りながら。
演技もする。
バラエティもやる。
関ジャニ∞なんてバンドもやる。
コントだってやっちゃう。
アーティストというよりエンターテイナーなのでしょうね。
……でも。
そういうことだけじゃないんです。
嵐にしても関ジャニ∞にしても、私は彼らの関係性を眺めているのが大好きなんです。
だから、メンバーの脱退による関ジャニ∞のパフォーマンスの変化よりも、メンバーそれぞれとの関わりが減ってしまうことの方がうんと寂しいのです。
今朝、これを読んで大きく大きく頷いていました。
これなんですよ。
これ。
寂しさ悲しさの本丸は。
Wikipediaの「アイドル」のところに
稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している。
と書かれてあるのですが、成長過程を共有しているからこそメンバー同士の関係性をも愛おしいのです。
丸ちゃんのコメントです。
先週の土曜日の朝、丸ちゃんのコメントを聞いて以下のようにツイートしました。「みんなで話し合ったのは、亮ちゃんをどうっていう事ではない」「亮ちゃんは別のエンターテイメントを追求する事を決めた。僕たちは関ジャニ∞としてのエンターテイメントを続けていく事を選んだってあだけなので、亮ちゃん一人がどうこうっていう風な、取られてしまうと違う。勘違いして欲しくない」 pic.twitter.com/R4Co85F8Kk— 椎名 (@km031317) September 6, 2019
*-*-*-*-*-*-*
すばるくんの脱退ヤスくんの病気・怪我が30代半ば以降のメンバーにとってこれからの人生を考えるキッカケになったというのはとても自然なことだと思うし、正直な思いのままに自分の人生の舵を取る事ができる強さがあるのは素晴らしいことだと思います。
ファンの寂しさ悲しさ辛さはまた別の話でね。
とんでもなく悲しいし寂しいししんどいけど、すばるくんも錦戸亮ちゃんも他の関ジャニ∞のメンバーもそういう強さを持っていること、そして彼らがその強さを培うことができたのは何故か、を娘が部活から帰ってきたら語り合おうと思います。
娘にも正直な思いを貫いて人生の舵取りをして欲しいから。
*-*-*-*-*-*-*
自分の思いに正直に人生の舵を取るということについて、
では私はできてるのか?と問われたら「できてるよ!」と即答できません。
正直に選び取る力がついてない、ということは、
『人生は(深い部分の)自分の第一希望が叶い続けている』という理から考えると、正直に選び取れない自分で在り続けることにメリットがあるってことだよなー…と思ったら、すぐに過去のある体験が浮かんできました。
小学生の時にお母さんのようになりたくないと私が言ったことに対して、結構時間が経ってからオカンに責められた、という体験です。
オカンはその言葉に傷ついたから何かの拍子に私に吐き出してしまったのでしょうが、まだ小学生…それも高学年じゃなかったんです。自分の思いを言語化する能力も語彙も未熟だったのでああいう言い方しかできなかったのでした。
なのでオカンに責められながら『違う違うそういうことを言いたかったんじゃない!』と思ったのですが、それも上手く言葉にできませんでした。
元々オカンの顔色・気分を伺うことが多かったのですが、余計にそういう部分が強化された体験でした。
そして、正直になることは危ないことだという思い込みも。
正直になることは危ないという思い込みからの言動は、長い時間をかけて「私は何がしたいのか分からない」に私を迷い込ませることに。
その上、正直に言えずに遠回しな言い方をして『違う違うそういうことを言いたかったんじゃない!』と思わされるやり取りが定期的(?)に発生し続けていました。
その度にヘロヘロになるくらい考え込むのですが、問題発生のカラクリの核心には至れませんでした。
*-*-*-*-*-*-*
丸ちゃんのコメントを聞いて少しホッとしたのと同時に、上記のように自分の中の思い込みの有様について気づくことができたのでした。
私はこの人生での一番古い記憶は2歳半の頃のものです。
弟とひなたぼっこしていて、弟のほっぺたがぷにぷにでかわいいので指でぷにって押してみたら泣きだしてしまいました。
家の中にいたオカンが飛んできて「どうした?」と訊いてきたのですが、怒られると思ったのでしょうね。咄嗟に私は「知らない。」と言いました。
そうなのです。
一番古い記憶が「嘘をついた」という記憶なのです。
…まぁ、これは、この直後にオカンが写真を撮ったようでして、私とわーん!と泣いてる弟の写真がアルバムに貼ってあるため、それを見るたびに「この時に嘘ついちゃった。」と小さいながらにも罪悪感を抱いていたので忘れなかった記憶となったのだと思います。
子供なんてそうやってすぐに小さい嘘をつくものだというのは自分が母親になって分かりましたけど、それでもですね、やっぱり一番古い記憶が嘘をついた時のことであるというのは、私にとっては意味のあることだったように感じます。
正直であることは危ないという思い込みがあることで発生する諸問題を経験する必要があったのでしょう。
なんでもかんでも自分の思ったことや考えたことを言うのか正直というわけではないですが、少なくとも「正直であることは危ないこと」では無いと思いますので、これについてはエネルギーワークで対処しました。
すーーっとしました!
そしたら、その夜。
大倉くんがラジオでとても正直に話してくれて、その言葉がすっと沁み込むように入ってきました。
なんといいますか……浸透率がアップしたような感じ。
大倉くんは正直に自分の言葉で話してくれる人だというのは分かっていたのですが、受け取る自分の方の変化によって今までとは少し違った感覚になりました。
ANN。大倉くんが書いてきたファンへのお手紙2。 #大倉くんと高橋くん pic.twitter.com/dtipAJtXng— 椎名 (@km031317) September 7, 2019
で、
丸ちゃんのテレビ番組と大倉くんのラジオ番組の間のことです。
私の友人の1人が、錦戸亮ちゃんを俳優として高く評価してくれてることを知り、とても嬉しくなったのですが、
さらに彼女が、いつかアイドルから転換していかないといけないんだから良いことだと思うよ、とも言ってくれて、何かがちょっと胸に引っかかったので、ゆっくりお茶を飲みながら考えてみました。
「アイドル」って何だろう?って。
特にジャニーズのアイドルって何なんだろう?と。
歌も歌う。それも踊りながら。
演技もする。
バラエティもやる。
関ジャニ∞なんてバンドもやる。
コントだってやっちゃう。
アーティストというよりエンターテイナーなのでしょうね。
ジャニーズエンターテイメント!
彼らが提供してくれるエンターテイメントの数々に大喜びしてるのは間違いありません。ジャニーズエンターテイメントの頂点 pic.twitter.com/esOoz4gZHK— はしの (@HC8boy) September 12, 2015
……でも。
そういうことだけじゃないんです。
嵐にしても関ジャニ∞にしても、私は彼らの関係性を眺めているのが大好きなんです。
だから、メンバーの脱退による関ジャニ∞のパフォーマンスの変化よりも、メンバーそれぞれとの関わりが減ってしまうことの方がうんと寂しいのです。
今朝、これを読んで大きく大きく頷いていました。
『夏の終わりに』(わさびもちさん)
これなんですよ。
これ。
寂しさ悲しさの本丸は。
Wikipediaの「アイドル」のところに
稲増龍夫やカネコシュウヘイは、日本の芸能界における「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している。
と書かれてあるのですが、成長過程を共有しているからこそメンバー同士の関係性をも愛おしいのです。
パフォーマンスの成長は、人間性の成長でもあり、そして関係性の成長でもありますもんね。
アイドルを通して観ているものは人それぞれだと思いますが、アイドルの箱推しの人はこういう部分が大きいような気がします。
だから、彼らの選択を応援したいし間違ってるとは思わない……けど寂しいんですよね
とっても寂しい。
つまり、アイドルってファンに「その人そのもの」を提供してるようなもので、どえらいこっちゃな~…と思います。
そんなアイドルをまだ続けようとしてくれてる関ジャニ∞の5人には感謝の気持ちでいっぱいです。
もちろん、すばるくんも錦戸亮ちゃんも応援しますよ!
コメント
コメントを投稿