変則的ペアワーク
『ブロックハンターGO』というエネルギープログラムのセミナーがあるのですが、
私には「ブロックハントに対するブロック」があり、これをなんとかしたいなぁ~…と思っていたら、akiさんからペアワークのお誘いがありました。
「ペアワーク」と称する、2人でエネルギープログラムの練習をするというものがありまして、今までも何度かペアワークをさせていただきましたが、すべてSkypeを使ってやっておりました。
が。
ペアワークをお誘い下さったakiさんとはどうしても時間を合わせることができませんでした。
すると、akiさんから「時間が合わないこと」自体がブロックなのではないかと考え、そこを解析したとメッセージが来ました。
ブロックハントには「何故このブロックを生み出したのかを解析する」エネルギープログラムがあり、それを使って我々2人がどうしてこのような状況を生み出しているのかを観てくれたのでした。
そして、私にもマルチプルアバンダンスの「第一希望を観る」でこの状況を観てもらえないか?とボールを投げてもらいました。
そこで私は「セッションナビ」というプログラムを起動し、この状況に対するセルフワークをしました。
その時点で、私の中の「ブロックハントに対するブロック」への理解が進み、なるほど~…と思っていたら、
「ああ~。そうか~。Skypeでリアルタイムでプログラムをかけ合うだけじゃなくて、これも変則的ではあるけどペアワークなんだ~。」
と気づきました。
その気づきと共に、akiさんにボールを投げ返すと、akiさんも更にセルフワークを深め、入れ子構造になっているものもBreakし、さらにakiさんの瞑想の中に現れていた「私」から「美徳」をポンっと投げられたのだそうです。
以下に、その時のことを端的に書かれたakiさんのツイートを紹介します。
usamimiさんセッション後、奥歯に挟まった食べカス的に取り残したブロックが気になってた。1ヶ月取り組んでいたがたみえさんとのワークで解消。ブロックはヒーラーになってはいけないで、回収要件にはたみえさんの「あるがまま自然で居るだけで人を癒し成長させる美徳」のコピーが必要だった。— aki (@aki00q) 2017年12月12日
私の中の「ブロックハントへのブロック」のおおもとは「美徳コピー」という言葉でした。
他人が培った美徳をコピーするのはズルいやり方なのではないか?という気持ちが深いところにあったのですが、「美徳コピー」は「美徳そのもの」をコピーするのではなく、「型」のようなものをコピーするので、ズルいわけではありません。(そんなズルはできるわけないですよねぇ~。型があっても中身を詰めて研鑽しなきゃいけないことに違いはありませんものね。)
そして、akiさんが私の美徳(の型)をコピーすることで、ブロックを1つ解消することができたのだと知り、その成り行きになんとも不思議な気持になりました。
さらに、
「あるがまま自然でいるだけで人を癒し成長させる美徳」なんてものが自分の中にあるなんて、嬉しいですけど、めちゃめちゃ恥ずかしいし、何より「うそーん!私がそんなわけないやーん!」という気持ちも非常に強かったです。
というか、反射的にそう思いました。
akiさんの超感覚やエネルギープログラムを疑うという意味ではなく、今の自分との差があまりにも大きすぎて、「そんなふうに言ってもらえる自分」を認められないのです。
しかし、
五井先生のお祈りをするようになり、五井先生の法話集を読みまくった頃から、「真の自分(神なる自分)の光がぱぁ~っと射すことで、その場に居るだけでなんだかみんないい感じになっていく」みたいな人間になれたらいいなぁ、と思っておりました。
究極的に目指すところはそこしかないのだろうと分かっていたので、今の自分との差が大き過ぎると感じるということ自体が「その資質を持っている」ことなのかもしれない、と思ったのです。
つまり、そのような美徳を持ち合わせている、ということなのだろう、と思えたのです。
まだその美徳を十分に発揮していないだけで。
発揮するためにするべきことはまだまだあるけれど、その方向を見ているということは、そういうことなんだな、と思えたのでした。
そう思えたら、じわじわ~~~…っと大きな喜びが湧いてきました。
実はこれって、私にとってはとても大きな前進なのです。
他人から指摘されても、「今の自分はまだまだとしても、そのような資質を持っている」という捉え方がどうしてもできなくて、「この私が?そんなわけないやーん。」となりがちでした。
だって怖かったんですもん…。
自分とあまりに乖離している「他人が見出してくれた自分」をサラっと受け入れることにより、あっという間に傲慢へと傾きそうで怖かったのです。
それが、こうして受け入れることができたのも、この半年間でセルフワーク・ペアワーク・実習…と、少しずつ自分を癒してきた総和としての結果の1つなんだなぁ~…と、思いました。
と、そんなわけで。
ブロックハンターGOを受講することができました。
そして、そのセミナー中にプログラムで観てもらったところ、私には「造園」方面への美徳があるのだと言われました。
植物への親和性とか、自分では2Dしか無理と思い込んでるけど3Dもイケるよ、とか指摘されて、心底驚きました。
だって~、今借りてる家の庭も私はちっとも手入れしてないんですも~ん。
大家さんのお父さんお母さんが住んでた家で、灯篭とかもある庭で、とっても使いにくいんですも~ん。手に負えないんですも~ん。
…なんて答えたら、「庭を使いにくいと思うって発想があること自体、そういうことでしょ?」と言われて、またしてもハッとしたのでした。
きっと、こんなふうに存在すら知らなくて発揮するための努力に手を付けてない美徳がまだ他にも私の中にあるのでしょうし、
そしてそれは誰もが同じで、人間って自分で思うよりもうんと様々な可能性を秘めてるんですよね。
あまりに多くを眠らせたままなのは勿体ないなぁ~、なんて、ちょっと思ったりもします。
そいえば。
ブロックハンターGOを受講する前に、「植物の関わりと癒し」という専科を受講しまして、その時の実習で「世界樹」にアクセスするというのがあったのですが、自分で思っていたよりもずっと深いところまでいきなりアクセスできたので、ちょっと驚いた…ということがありました。
そして、「造園」というキーワード。
数日経ってからハッとしました。
この前世があるやん!と。
一休みの人生とは言え、ルチアはしっかり美徳を培っていたのだなぁ、と胸がじーんとなりました。
他人が培った美徳をコピーするのはズルいやり方なのではないか?という気持ちが深いところにあったのですが、「美徳コピー」は「美徳そのもの」をコピーするのではなく、「型」のようなものをコピーするので、ズルいわけではありません。(そんなズルはできるわけないですよねぇ~。型があっても中身を詰めて研鑽しなきゃいけないことに違いはありませんものね。)
そして、akiさんが私の美徳(の型)をコピーすることで、ブロックを1つ解消することができたのだと知り、その成り行きになんとも不思議な気持になりました。
さらに、
「あるがまま自然でいるだけで人を癒し成長させる美徳」なんてものが自分の中にあるなんて、嬉しいですけど、めちゃめちゃ恥ずかしいし、何より「うそーん!私がそんなわけないやーん!」という気持ちも非常に強かったです。
というか、反射的にそう思いました。
akiさんの超感覚やエネルギープログラムを疑うという意味ではなく、今の自分との差があまりにも大きすぎて、「そんなふうに言ってもらえる自分」を認められないのです。
しかし、
五井先生のお祈りをするようになり、五井先生の法話集を読みまくった頃から、「真の自分(神なる自分)の光がぱぁ~っと射すことで、その場に居るだけでなんだかみんないい感じになっていく」みたいな人間になれたらいいなぁ、と思っておりました。
究極的に目指すところはそこしかないのだろうと分かっていたので、今の自分との差が大き過ぎると感じるということ自体が「その資質を持っている」ことなのかもしれない、と思ったのです。
つまり、そのような美徳を持ち合わせている、ということなのだろう、と思えたのです。
まだその美徳を十分に発揮していないだけで。
発揮するためにするべきことはまだまだあるけれど、その方向を見ているということは、そういうことなんだな、と思えたのでした。
そう思えたら、じわじわ~~~…っと大きな喜びが湧いてきました。
実はこれって、私にとってはとても大きな前進なのです。
他人から指摘されても、「今の自分はまだまだとしても、そのような資質を持っている」という捉え方がどうしてもできなくて、「この私が?そんなわけないやーん。」となりがちでした。
だって怖かったんですもん…。
自分とあまりに乖離している「他人が見出してくれた自分」をサラっと受け入れることにより、あっという間に傲慢へと傾きそうで怖かったのです。
それが、こうして受け入れることができたのも、この半年間でセルフワーク・ペアワーク・実習…と、少しずつ自分を癒してきた総和としての結果の1つなんだなぁ~…と、思いました。
と、そんなわけで。
ブロックハンターGOを受講することができました。
そして、そのセミナー中にプログラムで観てもらったところ、私には「造園」方面への美徳があるのだと言われました。
植物への親和性とか、自分では2Dしか無理と思い込んでるけど3Dもイケるよ、とか指摘されて、心底驚きました。
だって~、今借りてる家の庭も私はちっとも手入れしてないんですも~ん。
大家さんのお父さんお母さんが住んでた家で、灯篭とかもある庭で、とっても使いにくいんですも~ん。手に負えないんですも~ん。
…なんて答えたら、「庭を使いにくいと思うって発想があること自体、そういうことでしょ?」と言われて、またしてもハッとしたのでした。
きっと、こんなふうに存在すら知らなくて発揮するための努力に手を付けてない美徳がまだ他にも私の中にあるのでしょうし、
そしてそれは誰もが同じで、人間って自分で思うよりもうんと様々な可能性を秘めてるんですよね。
あまりに多くを眠らせたままなのは勿体ないなぁ~、なんて、ちょっと思ったりもします。
そいえば。
ブロックハンターGOを受講する前に、「植物の関わりと癒し」という専科を受講しまして、その時の実習で「世界樹」にアクセスするというのがあったのですが、自分で思っていたよりもずっと深いところまでいきなりアクセスできたので、ちょっと驚いた…ということがありました。
そして、「造園」というキーワード。
数日経ってからハッとしました。
この前世があるやん!と。
一休みの人生とは言え、ルチアはしっかり美徳を培っていたのだなぁ、と胸がじーんとなりました。
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